2010年12月2日木曜日

死刑制度の記事の感想・・・

司法の危機:裁判員制度は世界的な潮流に逆行して死刑を定着させるための政策?という記事がありました。

日本は近年死刑という刑を量産していて、先進国では死刑廃止が主流だし、死刑が減っているのに対しておかしくないか?という感じの問題提起をしている記事だと受け止めました。

しかし、思った事があります。

死刑は手段であって、問題の本質ではないのではないだろうか?と。

近年、死刑を望む被害者は、今までとは違う猟奇的な犯罪の被害者であったりします。今までの死刑という刑罰が適用されないはず!で安易に犯罪を起こす人もいたり、未成年だから何しても死刑にはならないし、保護されているから大丈夫だと思い込んでいる人がいるから、犯罪がエスカレートしている部分もあるように思えます。

全部のケースをあげる事は到底できません。多種多様な理由で犯罪を犯してしまうのでしょうから。

しかし、刑罰が軽すぎる為に犯罪を犯してもいいやという人に対しては、有効なのではないだろうか?と思えてしまうのです。

また、最初にも書いたようにこれは手段であり、問題の本質ではありません。

問題の本質は、死刑制度をどうするかでは無く、犯罪を減らすにはどうすればいいのか?だと思います。

犯罪を犯すのは人間の本能的な物だからという意見はひとまず置いておいて、刑罰とは「犯罪を起こすとこれだけのデメリットがあるよ!」という抑止力を期待している制度だと思います。

しかし、それ以上に大切な事は、教育なのでは無いだろうか?

犯罪を起こさせない教育が問題を解決する一番の方法だと思います。

例えば、日本は世界でも有数の安全な街だと言えます。深夜歩いても諸外国と比べて危険は少ない(無いわけでは無いです!)と言われています。

違いは教育なのでは無いだろうか?と思うのです。

勿論、人種の遺伝的闘争心とか、文化とか環境だとか言われると、そういう要素もあるとは思います。

でも、遺伝的な物を何とかする技術は今の所無いと思いますし、文化だと開き直られるとどうしようも無い。

できる事の中で変えられる要素は教育なのだと思います。

教育により文化も環境も変えられるのだと思います。

死刑制度を云々言って問題視して、無駄な時間を消費するのではなく、どうすれば犯罪を犯させない教育を行えるかに力を注ぐべきなのでは無いだろうか?

最近の死刑量産で、凶悪事件が減るなら、抑止力が働いている証拠の一つとして取り上げられると思うし、抑止力が働けば死刑も減る事になるわけです。

一時的な事を問題視するようでは、いつまで経っても良くならないと思いました。

もし仮にその手段を変えたい!という意見なら、抑止力としてそれに代わる方法を提案すべきだと思います。

それの代わりとして終身刑という提案をする場合は、税金で死ぬまで面倒を見ないといけない現行制度を変えて、終身刑村みたいな所で自給自足させるとか、生産性のある事をさせてそれを売ったお金で生きるシステムを確立させる事が必要だと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿