2009年8月25日火曜日

なぜ「ぶれる」と感じるのだろうか?

最近、麻生総理の「ぶれる発言」や民主党党首の鳩山由紀夫の「正式なマニフェストではない」等のぶれについて思う事があります。

「ぶれる」と感じるのは何故か?です。

問題1 取材記者が発言者の言葉を理解していない。
どちらもマスコミを通してしか伝わってこないため、記者が理解していない場合、その理解していない記者というフィルターを通しての記事は・・・もっと分からなくなります。

しかし、これはマスコミの記者の力量による問題であって、発言者(政治家)や視聴者(読者)側の問題ではない。単純に記者達の努力が足りないだけなので、努力しろとしかいいようがありません。

問題2 発言者が意思を変更した経緯の説明が無い。
発言者がきちんとした経緯を筋を通して説明しているか?が問題になります。

意見が真逆になった場合などは、特に経緯を説明しないと、当然聞き手は理解できません。わざと説明しないという手段もありますが、それは理解して欲しくないからそうする場合において有効な?手段だと思います。

また、筋が通った説明がされているかが、重要な事です。説明しても筋が通ってない場合は、「ぶれている」と感じ、説明していないと同じになるからです。

問題3 視聴者(読者)が理解できない。
視聴者が記事の文章を理解していない可能性。

斜め読みとか最初と最後だけしか読まなくて、肝心の部分を読んで理解していない為、勝手な解釈をして誤解を正当化してしまう場合も含めてです。

つまり、これらの要因で「ぶれる」と感じるかが決定されるのではないかと思います。

さて、麻生総理の「ぶれ」はこれのどれに当たるのでしょうか?少なくても3番は無いと思われます。何故なら、「ぶれている」と感じている人が多数なので。

残りは、1と2ですが・・・マスコミの編集による情報操作の可能性はそんなに高くないように思えます。

0 件のコメント:

コメントを投稿